昭和50年06月09日 朝の御理解



 御理解 第4節
 「此方金光大神あって天地金乃神のおかげを受けられる様になった。此方金光大神あって神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は此方金光大神である。金光大神の言う事に背かぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折りには、天地金乃神と言うに及ばぬ。金光大神助けて呉れと言へばおかげを授けてやる。」

 私共がおかげを受けると云う事、それは金光大神の教祖金光様の御信心に依る事です。金光様に依って天地金乃神様も世に出られる事になる。私共もおかげを受けられる事になった訳です。ですからそれを段々こう頂いて参りますと、私くしの事に致しますなら、三井教会の荒巻弓次郎先生あって、私は天地金乃神様を知った事になりおかげで今日のおかげがあるのですから取も直さず荒巻弓次郎先生は、神様からもお礼を言われる方であったであろう。又私共からもお礼を言われなさる方であると言う事になる訳です。
 ですから例えそれがあのう人間的には先生がどうであっても、所謂そのおかげでおかげが受けられる様になったのですから、その言われる事に背かぬ様、よく守って信心する事が大事なんです。昨日久留米の井上さん所の娘さん、かず子さんと言うのが若松に居ります。それで若松教会のすぐ近所ですから、あちらで熱心にお詣りさせて頂いておる。それでまあ、色々願い事はこちらに願いに参ります。
 火急の時は電話ででも。この頃から、子供が大変具合が悪くて、難しかろう様にありましたけれど、おかげを頂いて昨日は一緒に付いて参って来ておりましたが、本当におかげを頂いております。それよりあのうお詣りして参ります時に、若松の教会が今年は開教八十年の記念の年柄であった。それでこう言う記念出版が「信ここに八十年」と言う御本を記念に頂いたから、一冊私に読んで頂く様にと言う事であった。
 若松教会の御比礼は聞いては居りましたけれども、私くしは少し読ませて頂いただけで、そりゃもう大変な御比礼だったらしい。それ迄には大変な難儀もあり、苦労もおありになった様です。勿論小倉の桂先生のお弟子であります。その初代教会長と言うのは、言うならば何処の誰だかわからない。今にはっきりした事は。という様に自分でもあのうあざ(字)一字も判らない、自分と言う字を知っておられなかったんですね。
 それが子宮癌で命を絶たれる所を、桂先生にお取次に行っておかげを受けられた。それで桂先生の奨めに依って、お道の教師になられた。そして取り子取り嫁と云う事で、現在で三代目ですかね。もう言わば御比礼、その初代のお婆さんと言うお方はもう、それこそ色はあくまで黒くて眼の玉はギョロギョロしておられた。風貌が写真にも出ております。成程そうだっただろうと、兎に角、難しい喧しいまあーなんて言う、普通で言うならまあー頑固婆と云う様な感じです。
 まぁ此処にその事の有様を書いておられますが、ちょいと難しい方だっただろうと思います。兎に角あのう取り子取り嫁ですか、二人とも御親戚からでありますが、兎に角奥さんに物言うとそのう機嫌が悪かったそうです。まぁどっからか帰って来られてね、お帰りなさいとでも言うたら、プンプンしよんなさった、もうそういう方だったらしいけども、神様に向けてはもう大変な一途なものがおありになった。こりゃもう私しまだ若松教会にお参りした事御座いませんけれど。
 もうそりゃ大変な大きな立派なお教会で、お写真を見ると成程是は人間の力で建てたお広前じゃないな、神様が建てなさったなあと言う感じです。ここにその写真も出てますがね。ちょっともうそりゃ大変な、一時は御比礼だったらしいです。今もやっぱり隆々たる御比礼が立っています。けども例えて言うなら、普通で言うなら家の婆んごたる、もうそれこそ鬼婆ごたると言うて、悪口の一つも言わにゃならんとこでしょうけども。そう言うお母さんに付き、そう言う初代に付いて。
 もうそれこそもう初代の言うなりだったと、御夫婦の方達が。そしてなら段々後で述懐される事ですが、そう言うお婆さんのおかげで信心が鍛えられた。初代のおかげで今日の信心が出来た。おかげで今日の若松教会があると言う風に言っとられます。だから此方金光大神あってと、言うなら若松のいうなら現在の親先生でも、ならその先代でも二代にでも、その喧しいお婆さんあって今日の私共夫婦があったのであり、私共この教会があったんだと言う風に言っておられるです。
 だからなら金光大神様と言やあー生神様の様なお方、いや生神様の様なと言うが生神様。それならばです例えばもう言う事を聞くまいと思うても、聞かねば居られん程しの素晴らしいお方であっただろうと思うけれども、果たしてなら私共がその素晴らしい金光大神様のね、此方あって神が世に出た、氏子からも神からも両方からの恩人は、此方金光大神であるとまで言われる金光大神様の教えを、私共がその位に頂いておるかどうかと言う事であります。
 金光大神様の信心を四神様がお頂きになり、その四神様の御神徳に依って九州に道が開けて、小倉の桂先生が九州に道を開かれた。その桂先生の御神徳に依って、吉永と言うまあー士族の出ではあるだろうと、何処の誰だか本当に解らない、お父さんの名は解っておるけども、お母さんの名前が輪から意と、言う様にあやふやな言うならば子供の時代又は大きくなられても、奥さんにおい出られお嫁に行かれてからでもそれが判ってないと言うのですからね。
 本当にまぁ悪い言葉で言うなら、何処の馬の骨やら判らない様な私と言う事なんです、ね、御自分では。自分でも言っとられる様に、然かも学問もしとらない、字一字も判らない様な自分がです、お取次等と言う様な御用にはとても立ちませんし、けれども自分がおかげを受けた事を人にさえ伝えて行けば良いと言われて、言わばお道の教師を志ざされた。そんな訳ですから。
 例えば息子さん達御夫婦が教師の資格をとって、あの時分はその色々な階級が御座いました。教師の白袴とか青袴とか、赤袴とかと言う風にですね、それに子供さん達の方が早くその、言うならば良い位を貰いなさった。もうその時なんかえらい歯痒いがられなさったそうです。言うなら人柄としてはそう言う方だったと言う事です。まあ合楽の信心から言うと、もう例えば合楽の和賀心を焦点にして行くと言う行き方から言うと、そげな人がどうしておかげ頂くとぢゃろうかと言う事あるけれどね。
 けれどもその師匠桂松平先生の、是は桂松平先生も大変喧しい男じゃったちね。けれどもそれこそ桂先生の言われる事はそのまま、生神様の仰る言葉と受け抜いて行かれたと云う所にです。金光大神の言う事に背かぬ様、言うなら桂松平にの云う事に背かぬ様にと云う所に、若松の御比礼があったと言わなければなりませんし、又二代に於いてもそうです、そう言う例えば夫婦でおってです、夫婦で物言うても御機嫌が悪い、他所から帰って来られて、まあお帰んなさいと云う事も。
 或る時なんかはその何日も御用に出ておられて久し振りに帰って見えて、お帰んなさいお疲れで御座いましたと言われて、もう大変に機嫌が悪うならた、それでとうとう堪り兼ねて二代の先生がです、そんなにあなたのお気に入らんごとあるならば、家内はもう追い出して下さいち言うて、まあ或る意味では突き掛かる様な言い方もされた時もある程しに喧しかったそうです。
 普通から言うと、若い者が中が良かけん姑婆さんがりん気さっしゃる、と云う風な感じですね。そう言う所謂人間的な方であったけれども、金光大神の云う事に背かぬ様、と云う事に於いては、もう一途なものがおありになったと言う事です。段々読ませて頂いておる内に、あのここにちょっとカッコしておりましたが、桂先生がまあ私共はそれを、桂先生の神徳修行と言う風に頂いとりますが。
 丁度半年余り全国の教会を回られた事が御座います。何処そこに徳の高い先生が居られる、一遍通り回って、言うなら何と申しましょうかね、昔の武者修行の様なもんですね。自分の信心とまぁ比べて回られると言った様な感じの事です、その時分はまぁだ、大してそのお金なんかでもまぁ、不自由な事をなさっとられたそうですけれども、行く先々にお金を送らなければならない。その後をあのうお広前を預られたのが、ここの二代の吉永甚太郎と言う先生が半年間の間はされた。
 所がそのー先生が居られんもんですから、お参りも少なくなり、お初穂も少なくなられた時の事が書いて御座いますが、旅先の桂氏(師)にお送りする程御献費が上がりませず、胸を痛められた事も御座います。この時にご神前で一心にお詫びの御祈念をさせて頂いておりますと、初穂の多少は人間の働きに非ず、信心せずして不足を言えば言う程、おかげが薄く難儀を見るぞと、お知らせを頂き甚太郎師は畏多く思われ、教会の御家族と共に信心の真を尽くし。
 又節約の一端として三食麦粥をすすって無事に留守番の御用を務められたのでありますと云う所を私は、今日の御理解に一寸外れるかも知れませんけど、初穂の多少は人間の働きに非ず、信心せずして不足を言えば言う程、おかげが薄く難儀を見るぞ。此処ん所是は本当に私共頂かにゃならん所。例えば此処にお初穂と書いてあるが、例えばね皆さんの商売をしておれば売上が少なくなったとか、又は色々なおかげが願い通り頂けないと言う時です、おかげと言うのは人間の働きに非ずと言う風に頂きます。
 信心せずして不足を言えば言う程、そう言うおかげの頂けないと言う事は、信心不足と悟らにゃいけん。その信心不足の事は棚に上げて、不足を言うたら愈々おかげが薄く難儀を見るぞと、神様がお知らせしておられます。どうしてこげん何時までもおかげを頂ききらんじゃろうかと、言う様な気持ちがあってはね、益々おかげは薄うなると。是はまあだ信心が足りんのだと思うて、一段と信心を進めて行けば、そこからおかげが受けられると、御理解にもあります様にね。
 おかげを頂ききらんのは、自分の信心の不徳だと悟らして貰うて、自分の信心のまだ足りんのは棚に上げて、間違っておる事は棚に上げて、不足を言う様な事ここんところがね、信心不足を言えば云う程、おかげが薄く難儀を見るぞと言う事になります。どうでも昨日当たり頂きます様にね、それこそお礼を申し上げる以外にない。又は信心が足りんのだと、一段と信心を踏ん張って行く以外にないと言う事を思いますですね。と言う様に只今申します様にです。
 ならこの若松教会がああいう大変な、大きな教会がお広前、ここのお広前だけが七十枚、それに一間の縁が付いておるですから、百何十枚なんでしょう。ここは障子を取り払うてから、百二、三枚ですかね。ですから此処よりうんと大きいと言う事が解りますお広前が。そしてそのお広前がもうそりゃ実に頑丈な立派な、しかもその写真の模様を見ると、とてもやっぱり是は人間業で出来とるとぢゃないなあと思うです。
 しかも字一字知らない、然も人間的には根性の悪い、もう顔に現れとられるもん。写真を見ると、色はあくまで黒く眼の玉はギョロギョロしてと、そして人に負けたら歯痒うして堪えんと、息子達に負けたっちゃ歯痒い位な先生じゃったと言う位ですから、人柄としてはです。又それでも話を昔、若松先生と言う方が、お徳を受けられたけれども、まぁ大変難かしい喧しいお方と言う事は聞いとりましたけれども、この御本を読ませて頂いて、あヽ成程と言う風にまあ思うのですけどね。
 けどもそう言う、言うなら喧しい先生の元に然も血の繋がりも何にもない、取り子取り嫁の先生方が、又それをもうそれこそ、もう一から十まで、親先生まかせで過ごされたと云う事が。言うならば、金光大神の言う事に背かぬ様であり、親先生の言う事に背かぬ様と言う所を守られた所に、初代の時から又二代の時と愈々、御比礼が隆々として見えたと云う事はそう言う事。
 然も今ここにおかげを受けられん時にゃ不足でん言うんじゃない不足ども言う様な心の状態は、益々おかげが薄うなると。此処にはっきり言っておられます。是はもう本当にそうです。どうしてこげんおかげが受けられんだろうかと言う様な事は、もう既に神様に対する不平不足ですからそう言う心掛では、おかげは益々薄うなると言う事ですね。もう一遍読んで見ますよ良う覚えといて下さい、ここんところを。
 初穂の多少は人間の働きに非ず、信心せずして不足を言えば、言う程おかげが薄く、難儀を見るぞと。毎日詣りよりますと云う事が、信心じゃないのです。どれほど金光大神の言われる事を、言うならば行じておるか、守っておるか頂いておるかと云う事なんです信心とは。ね。ですから是はまだ私しの信心が足りんからだと言う以外にはないんでしょう。そう言う信心をです、私しは頂かして頂くと同時に。
 言うなら金光大神の言う事に背かぬ様、それはそれこそ、まぁ悪口を言うなら鬼婆の様な人と言うて良いかも知れません。根性の悪いばばさんと言うて良いかも知れん、例えば夫婦仲良うしとっても、癇癪回しなさる様な、言うなら親でも矢張り親と立て師匠と立ててです、もうそれこそどんな事であっても、親先生の言うならば。言う事を聞いて来たと言う風に書いてあります。
 所謂金光大神の云う事に背かぬ様、言うなら親先生の云う事に背かぬ様と云う事に、一生を貫かれたと云う事になります。金光大神の云う事に背かぬ様と云う事は、結局、親先生の云う事に背かぬ様と云う事にもなるのです。然もその親先生がどう言う人であろうがです、背かぬ様にと言う生き方をさして貰う所に、生神金光大神の働きがそこに現れる。天地金乃神のお徳がそこに現れる程しの、おかげが受けられると思うですね。
   どうぞ。